映画と私の生き方: 家族・地域との絆
これまで創った多くの映画は奈良を舞台にしている. この土地で生まれて育った中で感じた想いを映画に昇華するのだ. しかし高校を卒業した頃, 進路を決めるにあたり, 「映画監督になる」などということは全く雲をつかむような話であり, 誰からも参考になる話は聞かせてもらえなかった. そんな中でもこれだと思った道を進むにあたって高校時代のめりこんだバスケットボール部のコーチは「終わりよければすべてよし」という言葉を私に与えた. その言葉は私を多いに後押しした. どこにたどり着くかわからない航海に出発するコロンブスの心境である. 奈良市にある母校一条高校はこのコロンブスの開拓者精神を校風に掲げ, 副章に刻...
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Veröffentlicht in: | 児童青年精神医学とその近接領域 2018/06/01, Vol.59(3), pp.242-242 |
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1. Verfasser: | |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | これまで創った多くの映画は奈良を舞台にしている. この土地で生まれて育った中で感じた想いを映画に昇華するのだ. しかし高校を卒業した頃, 進路を決めるにあたり, 「映画監督になる」などということは全く雲をつかむような話であり, 誰からも参考になる話は聞かせてもらえなかった. そんな中でもこれだと思った道を進むにあたって高校時代のめりこんだバスケットボール部のコーチは「終わりよければすべてよし」という言葉を私に与えた. その言葉は私を多いに後押しした. どこにたどり着くかわからない航海に出発するコロンブスの心境である. 奈良市にある母校一条高校はこのコロンブスの開拓者精神を校風に掲げ, 副章に刻まれた画には彼の乗ったサンタマリア号が描かれている. 両親は私がまだ母親のお腹の中に居る時に別居をし, 生まれた後に離婚が成立したことから, 子供のいない母方の伯母夫婦に養女にもらわれて育った. そんなだからクラスメートと同じように両親が家にいる生活を経験したことがない. 祖父母世代の養父母は戦争体験者であり, 質素な生活の中に日々の暮らしに感謝する心を持っていた. 朝に太陽が昇れば手を合わせる信仰の形は遠い昔の人々からの継承だ. 小学校6年生まで8時には就寝していた私は何も変わらない生活リズムの中で季節の移り変りを肌で感じていた. 日本の文化は世界に誇ることのできる稀有なものだ. その精神は他ならぬこの養父母から受け継いだと思っている. そんな気持ちを我が子にも伝えてゆきたい. 使えなくなったものを捨てる時には「お世話になりました」と言ってから捨てること. 脱いだ靴はきちんと揃えておくこと. 挨拶は人の目を見てきちんとすること. それらを日々の生活の中から他ならぬ私自身が実践することで子供はそれを見て育つのだろう. 映画に刻む想いは, 遠い時代の彼らとの記憶と共に永遠である. |
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ISSN: | 0289-0968 2424-1652 |
DOI: | 10.20615/jscap.59.3_242 |