運動実践における痛みの経験再考: 知覚世界の変容に関する現象学的考察を通して

「I はじめに」本稿の目的は, 身体運動に伴う痛みの経験が, 運動実践者の知覚世界をどのように変容させているのかを明らかにすることを通して, その経験が有している意味を示すことである. そのために, 本稿は現象学的身体論, とりわけメルロ=ポンティの身体論に基づいて, 身体運動に伴う痛みの経験と実践者の知覚世界との関係を検討する. 後述のように, メルロ=ポンティの身体論は, 身体運動に伴う痛みに関する先行研究の課題を克服し得る視点に位置づく. したがって, 彼の身体論を視点とする本稿は, 身体運動に伴う痛みの経験を, 新たに捉え直す試みである. 本稿の試みの背景には, 以下に述べるような,...

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Veröffentlicht in:体育学研究 2024, Vol.69, pp.351-367
1. Verfasser: 中野, 大希
Format: Artikel
Sprache:jpn
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Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:「I はじめに」本稿の目的は, 身体運動に伴う痛みの経験が, 運動実践者の知覚世界をどのように変容させているのかを明らかにすることを通して, その経験が有している意味を示すことである. そのために, 本稿は現象学的身体論, とりわけメルロ=ポンティの身体論に基づいて, 身体運動に伴う痛みの経験と実践者の知覚世界との関係を検討する. 後述のように, メルロ=ポンティの身体論は, 身体運動に伴う痛みに関する先行研究の課題を克服し得る視点に位置づく. したがって, 彼の身体論を視点とする本稿は, 身体運動に伴う痛みの経験を, 新たに捉え直す試みである. 本稿の試みの背景には, 以下に述べるような, 身体運動に伴う痛みに関する実践的な状況がある. 運動実践者は, 身体運動をすることによって, しばしば痛みを経験している. 例えば, ラグビーボールを抱えて走る他者にタックルをしたとき, 痛みを感じることは少なくない.
ISSN:0484-6710
1881-7718
DOI:10.5432/jjpehss.24009