プライマリヘルスケアの背後にヘルスプロモーションがある

「I. はじめに」稿の冒頭から私事で恐縮だが, 大学を卒業した私は公衆衛生へ進むことを決意し, 地方の保健所に勤務し始めた. 旧保健所法の当時, 今とは違い保健所長たる者は地域保健のほとんどあらゆる活動をすることが許されており, 若造の私は管轄町とともに様々な活動を手掛け充実した時を過ごしていた. 当時, 全国で最も公衆衛生活動が活発であった島根県に保健婦(当時)らと共に訪問し, 市町村保健計画の立案が事業の中核にあることを学んだ. 早速, 我が管内に戻ると保健所と町役場は共同で保健計画立案を加速させた. そんな1990年代初頭, 順天堂大学の島内によって世界保健機関(WHO)のヘルスプロモー...

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Veröffentlicht in:国際保健医療 2018/06/20, Vol.33(2), pp.105-109
1. Verfasser: 湯浅, 資之
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:「I. はじめに」稿の冒頭から私事で恐縮だが, 大学を卒業した私は公衆衛生へ進むことを決意し, 地方の保健所に勤務し始めた. 旧保健所法の当時, 今とは違い保健所長たる者は地域保健のほとんどあらゆる活動をすることが許されており, 若造の私は管轄町とともに様々な活動を手掛け充実した時を過ごしていた. 当時, 全国で最も公衆衛生活動が活発であった島根県に保健婦(当時)らと共に訪問し, 市町村保健計画の立案が事業の中核にあることを学んだ. 早速, 我が管内に戻ると保健所と町役場は共同で保健計画立案を加速させた. そんな1990年代初頭, 順天堂大学の島内によって世界保健機関(WHO)のヘルスプロモーション(HP)がはじめて我が国に紹介された. 当時の我々公衆衛生従事者が現場で試行錯誤の上に求め続けていた活動こそHPというアプローチであったことを知った時の興奮は今も忘れられない.
ISSN:0917-6543
DOI:10.11197/jaih.33.105