看護学生の死生観に影響する要因と脳死の捉え方

「I. 緒言」 1997年の臓器移植法成立以来, 心臓死とならび移植を前提とした脳死が法律上の死と認められ, 人は死を選ぶ時代1)となった. 脳死を人の死と考えるか否かは, その前提として人の死をどう考えるかという個人の死生観に左右される. 死のリアリティがなくなり1), 死が見えなくなった1)と言われる現代を生きる看護学生にとって, 死の意味づけを含めた死生観を育てるための教育は, 様々な場面を通して行われる必要があり, 重要な取り組みであると考える. 看護は人の生命に関わる活動であり, 死を避けて通ることはできない. むしろ様々な場所で, 様々なプロセスを経て終末期に至った患者に積極的に寄...

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Veröffentlicht in:福井大学医学部研究雑誌 2006-12, Vol.7 (1/2), p.7-13
Hauptverfasser: 月田佳寿美, 池田歩未, 藤井和代
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:「I. 緒言」 1997年の臓器移植法成立以来, 心臓死とならび移植を前提とした脳死が法律上の死と認められ, 人は死を選ぶ時代1)となった. 脳死を人の死と考えるか否かは, その前提として人の死をどう考えるかという個人の死生観に左右される. 死のリアリティがなくなり1), 死が見えなくなった1)と言われる現代を生きる看護学生にとって, 死の意味づけを含めた死生観を育てるための教育は, 様々な場面を通して行われる必要があり, 重要な取り組みであると考える. 看護は人の生命に関わる活動であり, 死を避けて通ることはできない. むしろ様々な場所で, 様々なプロセスを経て終末期に至った患者に積極的に寄り添い, 家族をも含めた死を迎える援助が求められる. また移植医療において看護師は, ドナーとその家族, レシピエントというように様々な立場から患者やその家族に関わる可能性がある. そのため学生時代から人の死や脳死について考える機会をもち, 死を取り巻く経験を重ねる中で死生観を育てる必要がある.
ISSN:1348-8562