明治期に男女共学で医学を学ぶことができた私立日本医学校~顕微鏡を覗く女子医学生が写し出された細菌学研究室の絵葉書

画像は1908(明治41)年の元旦に東京・神田局で投函された, 山口県吉敷郡山口町(現在の山口市)宛の年賀状である. 当時はまだ年賀切手や公用年賀葉書は製作されておらず, 私製の絵葉書に菊切手1.5銭が貼付され, 東京・神田局の消印が押印されている. 差出人は, 文面から私立日本医学校(現在の日本医科大学)の学生と思われる. 葉書裏面は, 1907年頃の私立日本医学校の細菌学研究室における顕微鏡科実習風景の写真である. 我が国では明治時代以降, 細菌学の研究が盛んになった....

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Bibliographische Detailangaben
Veröffentlicht in:医学教育 2024/08/25, Vol.55(4), pp.348-349
Hauptverfasser: 和田, 健太朗, 真木, 奈美, 石田, 亮子
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:画像は1908(明治41)年の元旦に東京・神田局で投函された, 山口県吉敷郡山口町(現在の山口市)宛の年賀状である. 当時はまだ年賀切手や公用年賀葉書は製作されておらず, 私製の絵葉書に菊切手1.5銭が貼付され, 東京・神田局の消印が押印されている. 差出人は, 文面から私立日本医学校(現在の日本医科大学)の学生と思われる. 葉書裏面は, 1907年頃の私立日本医学校の細菌学研究室における顕微鏡科実習風景の写真である. 我が国では明治時代以降, 細菌学の研究が盛んになった.
ISSN:0386-9644
2185-0453
DOI:10.11307/mededjapan.55.4_348