東日本大震災こころのケア救護活動報告「こころのケア要員派遣」

「はじめに」東日本大震災は3月11日14時46分に発生した. 観測史上最大のマグニチュード9.0, 震源域は岩手県沖から茨城県沖までの広範囲に及んだ. (写真1, 写真2)この地震による津波が東北地方から関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした. 地震と津波による被害を受けた原子力発電所では, 大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した. このとき名古屋は震度4, 私は名古屋駅前ビルの52階コーヒラウンジにいた. このビルは免震構造だったためゆっくりと大きな横揺れが数分続き, エレベータが止まり, 階段は通行止めになった. 再開まで2時間あまり52階に閉じ込められ, 東海地...

Ausführliche Beschreibung

Gespeichert in:
Bibliographische Detailangaben
Veröffentlicht in:日本赤十字豊田看護大学紀要 2012-03, Vol.7 (1), p.21-29
1. Verfasser: 井嶋廣子
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
Tags: Tag hinzufügen
Keine Tags, Fügen Sie den ersten Tag hinzu!
Beschreibung
Zusammenfassung:「はじめに」東日本大震災は3月11日14時46分に発生した. 観測史上最大のマグニチュード9.0, 震源域は岩手県沖から茨城県沖までの広範囲に及んだ. (写真1, 写真2)この地震による津波が東北地方から関東地方の太平洋沿岸部に壊滅的な被害をもたらした. 地震と津波による被害を受けた原子力発電所では, 大量の放射性物質の放出を伴う重大な原子力事故に発展した. このとき名古屋は震度4, 私は名古屋駅前ビルの52階コーヒラウンジにいた. このビルは免震構造だったためゆっくりと大きな横揺れが数分続き, エレベータが止まり, 階段は通行止めになった. 再開まで2時間あまり52階に閉じ込められ, 東海地震の前触れかと不安で一杯だった. 一方, 当院では同日16時に災害対策本部を立ち上げ, 18時には初動班およびDMATが出動した. 当院では『この大震災で赤十字病院が頑張らなかったら赤十字病院としての存在意義がない, 多少の犠牲は厭わず全病院あげて支援したい』と言う石川清院長のかけ声の元, 全職員あげて救援活動に取り組んだ.
ISSN:1349-9556