ハンセン病輝く命を大切に:看護から
長島愛生園の看護の歴史をお話します. 私の勤める長島愛生園は, 昭和5年に国立第1号として設立された療養所で, 昭和6年3月27日に85名の患者さんが長島に第一歩を標している. 同年, 12月31日には入所者は453名となり, 定員の400人を既に上回りました. この年の看護婦は13名で, 医師は園長を含め3名でした. 長島愛生園記念誌によれば, 当時の看護婦は, 早朝から夜遅くまで医師と共に働き「看護よりむしろ医療, 処置にあたった」と記されていて, 入所者は病状の軽い人が重い人の世話をするというで支えられていたとされています. 多くの人が語るように, ハンセン病の看護は患者さんたち自身によ...
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Veröffentlicht in: | 日本ハンセン病学会雑誌 2003-06, Vol.72 (2), p.192-192 |
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1. Verfasser: | |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | 長島愛生園の看護の歴史をお話します. 私の勤める長島愛生園は, 昭和5年に国立第1号として設立された療養所で, 昭和6年3月27日に85名の患者さんが長島に第一歩を標している. 同年, 12月31日には入所者は453名となり, 定員の400人を既に上回りました. この年の看護婦は13名で, 医師は園長を含め3名でした. 長島愛生園記念誌によれば, 当時の看護婦は, 早朝から夜遅くまで医師と共に働き「看護よりむしろ医療, 処置にあたった」と記されていて, 入所者は病状の軽い人が重い人の世話をするというで支えられていたとされています. 多くの人が語るように, ハンセン病の看護は患者さんたち自身によって築かれてきました. 偏見や差別はそこで働く人にも向けられ, 職員は不足してゆきました. 病棟では患者がほかの患者の付き添いをしていたのが看護婦の夜勤体制に変わったのは昭和29年ごろからでした. それは昭和27年に開設された附属の准看護学校の卒業生が就職したからです. 又, 不自由者病棟の身辺介護が職員の手で行われたのは昭和38年ごろからのことです. |
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ISSN: | 1342-3681 |