社会復帰者の「病いの語り」
ハンセン病者の多くは, 療養所で暮らしてきたが, 本報告では, 社会復帰後外来診療の支援を受けながら, 長年にわたって療養所外で暮らしてきた3人の男性について, そのライフヒストリーにもとづき, ハンセン病を病むことの意味をさぐる. 2000年8月におこなったインタビューのテープを起こし, トランスクリプトを作成し, それをテキストとして帰納的に分析する. 3氏をA, B, Cとし, ライフコースと病気の経過を述べる. A氏(68歳)は, 昭和27年発病, 国立療養所に3ヶ月入所後, 私立の療養所に転院. 約2年後退所し, その後結婚, 離婚, 再婚する. 退所時に断種をされ, 子どもはいない...
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Veröffentlicht in: | 日本ハンセン病学会雑誌 2001-07, Vol.70 (2), p.87-87 |
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1. Verfasser: | |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | ハンセン病者の多くは, 療養所で暮らしてきたが, 本報告では, 社会復帰後外来診療の支援を受けながら, 長年にわたって療養所外で暮らしてきた3人の男性について, そのライフヒストリーにもとづき, ハンセン病を病むことの意味をさぐる. 2000年8月におこなったインタビューのテープを起こし, トランスクリプトを作成し, それをテキストとして帰納的に分析する. 3氏をA, B, Cとし, ライフコースと病気の経過を述べる. A氏(68歳)は, 昭和27年発病, 国立療養所に3ヶ月入所後, 私立の療養所に転院. 約2年後退所し, その後結婚, 離婚, 再婚する. 退所時に断種をされ, 子どもはいない. 昭和45年再発. 現在通院中の病院に11ヶ月入院後, 癌や良性腫瘍, 破傷風を患う. 後遺症はない. B氏は(68歳)は, 小学6年生のころより足にやけどを負い, 中学2年時に診断され国立療養所入所. 5年ほどすごし一時帰省時に友人を頼って退所. 療養所仲間の余り薬(DDS)をときどきもらってきて服用. 就職し結婚するが, 昭和40年頃再発. 垂足の手術を受ける. 子どもはいない. 手足が少々不自由. C氏(75歳)は, 昭和31年発病と同時に妻子を残して国立療養所に入所. 神経痛の注射の後遺症で足が悪くなり, 退所が遅れ8年半療養所に暮らす. 退所後就職し67歳まで勤める. 後遺症は見受けられない. 彼らの人生に共通しているのは, ハンセン病であったことを「隠蔽」し続けていることである. A氏は, 病気のことを妻にも知らせていない. 再発時の長期にわたる入院も癌であると偽っている. その後本当に癌を発病したので, それでよかったという. B氏は, 結婚前の発病を妻に隠しているが, 再発時には担当医から妻へ説明してもらい理解してもらえたという. C氏の場合は, 子どもにも話したというがどのように認識しているのかわからないという. いずれも職場や近隣には病気のことを隠している. このため, ハンセン病者である自分をそのまま表出できたひとときとして, 今回のインタビューは位置づけられた. 当日の発表では, 隠蔽のためのパッシング, 病気であったことと人生の意味, 病気一般とハンセン病との関係, 医師への思い, 外来診療の意味, 等々について, 語りをいかしつつ, あきらかにしていく予定である. |
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ISSN: | 1342-3681 |