本邦における膵臓外科の歴史と私の経験

「はじめに」 第41回日本膵臓学会大会は2010年7月11日~13日福岡にて第14回国際膵臓学会と合同で開催された. そのときの会長講演は英語で発表したが, 本誌にはそのときの講演要旨を簡略に報告する. 「本邦における膵頭十二指腸切除術の歴史」 膵頭十二指腸切除術(PD)の報告は1898年イタリアや1912年ドイツでの報告がみられるが成功例としては1935年のWhippleの報告が最初と考えられる. 1940年代には米国を中心にPD後の再建法はほぼ完成されたと思われるが, 手術合併症や手術死亡率は極めて高いものであった. 本邦では1943年に第一例が久留によって行われたと思われ, 1946年に...

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Veröffentlicht in:膵臓 2011, Vol.26(2), pp.117-122
1. Verfasser: 中尾, 昭公
Format: Artikel
Sprache:jpn
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Beschreibung
Zusammenfassung:「はじめに」 第41回日本膵臓学会大会は2010年7月11日~13日福岡にて第14回国際膵臓学会と合同で開催された. そのときの会長講演は英語で発表したが, 本誌にはそのときの講演要旨を簡略に報告する. 「本邦における膵頭十二指腸切除術の歴史」 膵頭十二指腸切除術(PD)の報告は1898年イタリアや1912年ドイツでの報告がみられるが成功例としては1935年のWhippleの報告が最初と考えられる. 1940年代には米国を中心にPD後の再建法はほぼ完成されたと思われるが, 手術合併症や手術死亡率は極めて高いものであった. 本邦では1943年に第一例が久留によって行われたと思われ, 1946年にそれが報告1)されているが抄録のみであり切除再建法を記載するとFig. 1のようであったと想像される. 症例は膵頭部癌で術後3日で死亡している. 翌年の1947年には吉岡2)がFig. 2のような再建法を報告している.
ISSN:0913-0071
1881-2805
DOI:10.2958/suizo.26.117