水島 裕先生と私

「水島先生が急逝された!」という情報を炎症再生医学会事務局から受けたときは中々信じられませんでした. 何処の水島さんか?と読み返して「裕」というお名前を拝見して本当であることを確認した後は「どうして?」と. 報道で急性心不全と伺って, 何とか事前の対策が無かったものかと, 同じような状態を事前に発見してもらってステントを入れた過去を持つ小生としては本当に残念でなりません. 私が先生を最初に意識しましたのは, 1970 年代はじめ, 学会特にリウマチ学会だったと思いますが, 小柄な先生が良く通る声で, 静かに, しかし厳しい質問をされているのを拝見したころだと思います. 「東大物療の水島 裕」を...

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Veröffentlicht in:Inflammation and Regeneration 2008, Vol.28(5), pp.415-416
1. Verfasser: 京極, 方久
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:「水島先生が急逝された!」という情報を炎症再生医学会事務局から受けたときは中々信じられませんでした. 何処の水島さんか?と読み返して「裕」というお名前を拝見して本当であることを確認した後は「どうして?」と. 報道で急性心不全と伺って, 何とか事前の対策が無かったものかと, 同じような状態を事前に発見してもらってステントを入れた過去を持つ小生としては本当に残念でなりません. 私が先生を最初に意識しましたのは, 1970 年代はじめ, 学会特にリウマチ学会だったと思いますが, 小柄な先生が良く通る声で, 静かに, しかし厳しい質問をされているのを拝見したころだと思います. 「東大物療の水島 裕」を始めて知ったときです. それ以後, 先年亡くなった私の弟が, 東大理学部化学教室出身で水島三一郎先生の孫弟子に当たることなどもあって, いろんなところでお会いする機会が増え, お話しすることも多くなりましたが, 先生と本当にいろんなことをface to face でお話できるようになったのは大正製薬をスポンサーにして出来た「炎症研究会」に先生に薦められて加わらせていただいてからだと思います. 塩川優一先生, 東北大薬学部の鶴藤 丞先生, 大正製薬学術部長の故会沢孝雄さんなどを交えてよく本音で議論をしました. この研究会がその後発展して「日本炎症学会」になるのですが, 先生はこのような研究集団を立ち上げて, それを自ら先頭に立って活性化し, 成熟させるのに卓抜した才能をお持ちでした. 学会を立ち上げるときに, その病理方面の代表者として私を推薦していただいたのは本当に嬉しかったです. 当時病理方面の炎症研究者には偉い先輩方が沢山居られましたが, その中から一番若輩の私を抜擢していただいたご厚誼は忘れません.
ISSN:1880-9693
1880-8190
DOI:10.2492/inflammregen.28.415