古くて新しいもの:結核

19世紀から20世紀にかけては医学といえば結核病学といっても過言ではなかった時代であった. 現在, 結核は減少しつつあり, ともすれば過去の病気として忘れ去られつつある. 結核は18~19世紀にかけての都市の発達と人口の急増, 産業革命に伴う劣悪な労働環境と貧困, 煤煙などの環境汚染, により急速に広まり, 英国, フランス, ドイツなど西欧先進国では”White Plague”として畏れられた疾患であった. わが国においても, 昭和25年頃までの約60年間, 結核対策は医療行政上最大の課題であり, その基礎的研究と臨床は医学の中心であった. 19世紀後半いかに結核がおそるべき疫病であったかは...

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Bibliographische Detailangaben
Veröffentlicht in:医療 1991, Vol.45 (6), p.616-616
1. Verfasser: 毛利昌史
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:19世紀から20世紀にかけては医学といえば結核病学といっても過言ではなかった時代であった. 現在, 結核は減少しつつあり, ともすれば過去の病気として忘れ去られつつある. 結核は18~19世紀にかけての都市の発達と人口の急増, 産業革命に伴う劣悪な労働環境と貧困, 煤煙などの環境汚染, により急速に広まり, 英国, フランス, ドイツなど西欧先進国では”White Plague”として畏れられた疾患であった. わが国においても, 昭和25年頃までの約60年間, 結核対策は医療行政上最大の課題であり, その基礎的研究と臨床は医学の中心であった. 19世紀後半いかに結核がおそるべき疫病であったかは, 1840牢, ロンドンやパリでの結核死亡者数は人口の14~18%にも達し, パリでは1899年死亡者46,988人中その1/4は結核によったとの記録が残っている. 英国の詩人Byronは若い女性結核患者の透きとおるように臼い肌とそのかよわい美しさに感銘し”I should like to die of consumption. ”とまで賛美した.
ISSN:0021-1699