3. パノラマ戦国時代の思い出
1960年代の後半に入り, 歯学部, 歯科大学の新設ラッシュが到来した. その結果, 歯科放射線学講座が各大学で開設され, それに伴って歯科放射線科が独立した診療科として取り扱われるところとなった. 機材の導入にあたっては, パノラマX線撮影装置は垂涎の的であった. 当時, わが国ではパノラマX線撮影装置は外国製のものしか入手できず, 大阪大学歯学部, 東京医科歯科大学歯学部が所有するパノレックスと日本歯科大学が所有するパノラミックスが他大学から羨ましがられていた. 社会保険診療報酬としての点数算定は, 医科の断層撮影のそれ(380点)が準用された(1969年)が, 体腔管方式のパノラミックス...
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Veröffentlicht in: | 歯科放射線 2004, Vol.44 (2), p.123-124 |
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1. Verfasser: | |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | 1960年代の後半に入り, 歯学部, 歯科大学の新設ラッシュが到来した. その結果, 歯科放射線学講座が各大学で開設され, それに伴って歯科放射線科が独立した診療科として取り扱われるところとなった. 機材の導入にあたっては, パノラマX線撮影装置は垂涎の的であった. 当時, わが国ではパノラマX線撮影装置は外国製のものしか入手できず, 大阪大学歯学部, 東京医科歯科大学歯学部が所有するパノレックスと日本歯科大学が所有するパノラミックスが他大学から羨ましがられていた. 社会保険診療報酬としての点数算定は, 医科の断層撮影のそれ(380点)が準用された(1969年)が, 体腔管方式のパノラミックスにも同じ点数が適用されたので, 診断料及び撮影料は顎単位とする取扱いとなった. そのために, 上下顎を同時に撮影する断層撮影方式では, 2倍の点数があてられることになった(1976年). 国産のパノラマX線装置が市場に登場(1970年)し, すでに輸入されていたオルソパントモグラフ(パロメックスーシーメンス)に性能的にも肉迫し, パノラマックス(朝日レントゲン), オルソパントモN-70(肥田電機), パノーラ(吉田製作所), パネックス(モリタ製作所)などが価格の安さでしのぎを削った. 時あたかも1970年10月, 岩手医大歯学部で開催された第11回日歯放総会では, シンポジウム:パノラマX線撮影が企画され, 安藤正一教授(日大, 歯, 放)の司会のもとに9人ものパネリストが登場し, 賑やかな討議がなされた. 学会, 業界あげて大いに盛り上がった1970年をパノラマ元年と称するゆえんである. その後, 口内線源方式, 回転パノラマ方式と言葉は変わったが, それぞれの装置は国の内外を問わず種類を増す一方で, 保険点数も1980年には最高650点にもなり, 一気に各歯科診療所にパノラマX線撮影装置が普及することとなった. 「パノラマ買ってハワイに行こう」と週刊ポスト誌にからかわれた1976~1985年の10年間におけるデンティスト, メーカーのパノラマをめぐる狂奔振りは, まさに戦国時代そのものであったのではないかと懐かしむ次第である. |
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ISSN: | 0389-9705 |