私的気管支学今昔物語

大学を卒業して40年以上が過ぎ, その間気管支学は驚異的に進歩した. このような原稿を書く機会を与えていただいたので, 私個人の気管支学を振り返り, 若い先生方になんらかの参考になればと思い拙文を書かせていただく. 私が所属した大学の医局は呼吸生理学を得意としていたこともあり, 肺癌の術前検査にはカーレンスチューブを局麻下に挿入して左右別肺機能を測定するのが当たり前のように行われていた. その検査の情景は入局したての若い医師には強烈な印象を残し, 呼吸器に少しネガティブな気持ちになったものである. 気管支鏡検査も初期のファイバースコープが出た頃であり, 術者以外はあまり画像を見せてもらうことは...

Ausführliche Beschreibung

Gespeichert in:
Bibliographische Detailangaben
Veröffentlicht in:気管支学 2015/05/25, Vol.37(3), pp.253-254
1. Verfasser: 森田, 純二
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
Tags: Tag hinzufügen
Keine Tags, Fügen Sie den ersten Tag hinzu!
Beschreibung
Zusammenfassung:大学を卒業して40年以上が過ぎ, その間気管支学は驚異的に進歩した. このような原稿を書く機会を与えていただいたので, 私個人の気管支学を振り返り, 若い先生方になんらかの参考になればと思い拙文を書かせていただく. 私が所属した大学の医局は呼吸生理学を得意としていたこともあり, 肺癌の術前検査にはカーレンスチューブを局麻下に挿入して左右別肺機能を測定するのが当たり前のように行われていた. その検査の情景は入局したての若い医師には強烈な印象を残し, 呼吸器に少しネガティブな気持ちになったものである. 気管支鏡検査も初期のファイバースコープが出た頃であり, 術者以外はあまり画像を見せてもらうことはできなかった. これでは大学でいろいろな手技を教わるのは難しいと思ったのが正直な気持ちであった. 1977年に高松赤十字病院に赴任してしばらく経ってから, 当時の院長のご好意で呼吸器外科を標榜することができ, 手術も検査も比較的自由にさせてもらった.
ISSN:0287-2137
2186-0149
DOI:10.18907/jjsre.37.3_253