教育 -昔と今

私は1931年の早生まれなので旧制度の教育を受けた.小学校5年生の夏休みに,6年生も一緒に希望者は朝早くから畳の教室に正座して校長先生から四書五経のひとつの古文孝経の素読を習った.白文をただ読んでいくだけの寺子屋式教育であった.丸暗記してしまい,そらで全部言えるようになったら不思議なことに意味が少しずつわかってくるのである.中学校の時には十八史略(漢文)も読めるようになっていたし,中国語を勉強し始めた時にも大変役に立った.中学校では勤労動員で土運びや農作業をしたが,3年生になると電車の修理工になった.初めの一ヶ月間は電車の構造や工具の講義があった.戦争中で英語は敵性語として公然とは使えない時代...

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Bibliographische Detailangaben
Veröffentlicht in:川崎医学会誌 2007, Vol.33 (2), p.65-68
1. Verfasser: 齋藤泰一
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:私は1931年の早生まれなので旧制度の教育を受けた.小学校5年生の夏休みに,6年生も一緒に希望者は朝早くから畳の教室に正座して校長先生から四書五経のひとつの古文孝経の素読を習った.白文をただ読んでいくだけの寺子屋式教育であった.丸暗記してしまい,そらで全部言えるようになったら不思議なことに意味が少しずつわかってくるのである.中学校の時には十八史略(漢文)も読めるようになっていたし,中国語を勉強し始めた時にも大変役に立った.中学校では勤労動員で土運びや農作業をしたが,3年生になると電車の修理工になった.初めの一ヶ月間は電車の構造や工具の講義があった.戦争中で英語は敵性語として公然とは使えない時代であったが,その技師は全ての名前を英語で教えて下さった.家がなくなったので母の里に近い丹波の中学校に転校したが,学校が工場になっており,1週交代の昼夜勤で飛行機に使うベアリングの研磨工をやらされた.敗戦となってから本当の勉強が始まり,4年生から大阪の三つ目の中学校に転入した.
ISSN:0386-5924