多発性硬化症の病理学的研究に従事して

1. はじめに 自分の恩師は元九州大学神経内科教授, 故黒岩義五郎先生(Fig. 1)である. 黒岩先生は東京大学第三内科(冲中内科)から九州大学第二内科(勝木内科)へ神経内科学を担当するため助教授として赴任してこられた. この頃, 九州で大規模な炭坑爆発があり多数の-酸化炭素中毒患者を出したこともあり, 昭和38年(1963年)日本で初めて黒岩先生を教授として九州大学に神経内科学教室が創設された. 自分はインターンを終えて昭和39年(1964年)新設された神経内科学教室へ他の2名の同級生と一緒に一期生として入局した. 入局後, 研究を行うに当たって生理系, 生化学系, 病理系のどれを選ぶかと...

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Veröffentlicht in:川崎医学会誌 2006, Vol.32 (2), p.51-54
1. Verfasser: 調輝男
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:1. はじめに 自分の恩師は元九州大学神経内科教授, 故黒岩義五郎先生(Fig. 1)である. 黒岩先生は東京大学第三内科(冲中内科)から九州大学第二内科(勝木内科)へ神経内科学を担当するため助教授として赴任してこられた. この頃, 九州で大規模な炭坑爆発があり多数の-酸化炭素中毒患者を出したこともあり, 昭和38年(1963年)日本で初めて黒岩先生を教授として九州大学に神経内科学教室が創設された. 自分はインターンを終えて昭和39年(1964年)新設された神経内科学教室へ他の2名の同級生と一緒に一期生として入局した. 入局後, 研究を行うに当たって生理系, 生化学系, 病理系のどれを選ぶかといわれ, 学生時代から興味を持ち病的状態を可視的に理解できる病理系を選択した. 黒岩教授は東京大学第三内科時代から多発性硬化症の臨床的研究を行っており, 九州大学神経内科でも多発性硬化症が教室のテーマの1つとなり自分がその病理学的側面を担当することになった.
ISSN:0386-5924