理学療法の50 年の歩みと展望 ─新たなる可能性への挑戦: 九州からの発信

「はじめに」 昭和30~40年代にかけて「リハビリテーションの陽は西から昇った」とよくいわれていた. その由来として九州労災病院(日本最初の労災病院で昭和24年開院)の存在がある. 筆者は, 昭和41年旧労働福祉事業団九州リハビリテーション大学校第1期生として入学して以来, この50年間ずっとその九州の地で過ごしている. シンポジウムではそうした思いから理学療法士の資格が誕生する以前の九州労災病院を中心としたリハビリテーション医療の創生期について紹介した. 今回は紙面の制約もあり概説にとどめ, 最初に参加させていただいた第4回日本理学療法士学会(昭和44年神戸市)で, バーバラ・ナッシュ(Ba...

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Veröffentlicht in:理学療法学 2015, Vol.42(8), pp.628-629
1. Verfasser: 橋元, 隆
Format: Artikel
Sprache:jpn
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Beschreibung
Zusammenfassung:「はじめに」 昭和30~40年代にかけて「リハビリテーションの陽は西から昇った」とよくいわれていた. その由来として九州労災病院(日本最初の労災病院で昭和24年開院)の存在がある. 筆者は, 昭和41年旧労働福祉事業団九州リハビリテーション大学校第1期生として入学して以来, この50年間ずっとその九州の地で過ごしている. シンポジウムではそうした思いから理学療法士の資格が誕生する以前の九州労災病院を中心としたリハビリテーション医療の創生期について紹介した. 今回は紙面の制約もあり概説にとどめ, 最初に参加させていただいた第4回日本理学療法士学会(昭和44年神戸市)で, バーバラ・ナッシュ(Barbara Nash)先生の「どこへ行く日本のリハビリテーション」という特別講演をもとに, 日本理学療法士協会と筆者自身がかかわってきた活動を通して, 理学療法の50年の歴史について振り返ることをお許し願いたい.
ISSN:0289-3770
2189-602X
DOI:10.15063/rigaku.42-8_002