天城山ブナ林の江戸時代末期における状況―現状との比較

伊豆半島天城山の西側地域で行われたブナ立木調査の結果を記した1866年の2通の文書を解読した。文書のブナのサイズ構成が当時の林を代表すると仮定し,現生林分と比較した。文書には445本のブナの目通りと長さが記録されていた。目通りは4~12尺(直径38.6~115.8 cm),長さは6尺5寸~21尺(1.8~6.4 m)の範囲であった。目通り直径は現在ブナ林の胸高直径範囲に収まった。中径木から胸高直径100 cm超の大径木まで様々な直径のブナが生育し,そのサイズ構造は現生ブナ林と類似していた。直径の分布型から大半の場所で大径化していたことが示された。一方,分布がやや細い直径階に偏る場所もあり,部分...

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Veröffentlicht in:Nihon Shinrin Gakkaishi 2022/08/01, Vol.104(4), pp.193-204
1. Verfasser: 井出, 雄二
Format: Artikel
Sprache:jpn
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Beschreibung
Zusammenfassung:伊豆半島天城山の西側地域で行われたブナ立木調査の結果を記した1866年の2通の文書を解読した。文書のブナのサイズ構成が当時の林を代表すると仮定し,現生林分と比較した。文書には445本のブナの目通りと長さが記録されていた。目通りは4~12尺(直径38.6~115.8 cm),長さは6尺5寸~21尺(1.8~6.4 m)の範囲であった。目通り直径は現在ブナ林の胸高直径範囲に収まった。中径木から胸高直径100 cm超の大径木まで様々な直径のブナが生育し,そのサイズ構造は現生ブナ林と類似していた。直径の分布型から大半の場所で大径化していたことが示された。一方,分布がやや細い直径階に偏る場所もあり,部分的な若い個体の加入も考えられた。長さから推定した枝下高は現生林分と比べると低く,文書のブナの成立過程において既に立木密度が低く疎林化していた可能性があった。大径化や疎林化は,製炭による広葉樹の継続的利用の結果と考えられた。今日天城山には,中小径木から大径木まで様々なサイズのブナが存在する。これは江戸末期以降の実生の定着と稚樹の成長によると考えられ,往時の樹木利用がブナの存続に有利に働いた可能性がある。
ISSN:1349-8509
1882-398X
DOI:10.4005/jjfs.104.193