脂質代謝にみる偏らない栄養の重要性
戦後の北海道は, 不利な立地条件もあって, 全国一の高い結核死亡率に悩まされるなど, 栄養知識の普及度も低く, 食生活も全国平均を下回るという今日では想像もできないほどの惨めなものであった. こういう状況下に恩師安田守雄先生は関連学会 教育界 行政当局など同憂の方々の英知を集めて, 本道における栄養の教育 研究 普及と, 道民の健康増進に尽力され, また北海道栄養 食糧学会を設立された. 日本栄養 食糧学会が全国的に組織された両3年後に地域活動を開始したのである. そのころ, 地元大学図書館でも外国の学術雑誌が読めるようになった. それまでは東京のCIE図書館, 引き続いては札幌でもアメリカ文...
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Veröffentlicht in: | Nihon Eiyō, Shokuryō Gakkai shi 1989/02/10, Vol.42(1), pp.1-11 |
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1. Verfasser: | |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | 戦後の北海道は, 不利な立地条件もあって, 全国一の高い結核死亡率に悩まされるなど, 栄養知識の普及度も低く, 食生活も全国平均を下回るという今日では想像もできないほどの惨めなものであった. こういう状況下に恩師安田守雄先生は関連学会 教育界 行政当局など同憂の方々の英知を集めて, 本道における栄養の教育 研究 普及と, 道民の健康増進に尽力され, また北海道栄養 食糧学会を設立された. 日本栄養 食糧学会が全国的に組織された両3年後に地域活動を開始したのである. そのころ, 地元大学図書館でも外国の学術雑誌が読めるようになった. それまでは東京のCIE図書館, 引き続いては札幌でもアメリカ文化センターでしか読めなかったのである. 国内誌の出版事情は劣悪の当時で, それらの外国誌はむさぼり読まれたのであった. 当時は「脂質の栄養や生化学」をやる人は国際的にも限られた人数で, 「井の中の蛙」的な脂質栄養生化学とはいえ, いわゆる「物とり」の方では機械力の差を"運 鈍 根"でカバーすれば, 日本は国際的にも何とか太力打ちできそうである. |
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ISSN: | 0287-3516 1883-2849 |
DOI: | 10.4327/jsnfs.42.1 |