大槻玄沢と葛西森夫

今回, 仙台の地で第54回日本小児外科学会学術集会ならびに第7回胆道閉鎖症仙台国際シンポジウムを開催するにあたり, 今日に連なるわが国の西洋医学の発展の流れの中で, 東北仙台の先人たちが果たしてきた役割を, とくに大槻玄沢と葛西森夫の二人の医師・医学者に焦点を当てて紹介する. 「1仙台藩における医学教育と大槻玄沢」1601年, 伊達政宗を藩祖として仙台藩が誕生した. 仙台藩では, 政宗以来代々の藩主に好学の気風があり, 1736年. 第5代藩主・伊達吉村は仙台に学問所(後の養賢堂)を開設した, 1760年, 養賢堂で医学教育が開始され, 1817年にはここから医学校が分離, 1822年に日本初...

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Veröffentlicht in:日本小児外科学会雑誌 2018-02, Vol.54 (1), p.4-8
1. Verfasser: 仁尾正記
Format: Artikel
Sprache:jpn
Online-Zugang:Volltext
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Beschreibung
Zusammenfassung:今回, 仙台の地で第54回日本小児外科学会学術集会ならびに第7回胆道閉鎖症仙台国際シンポジウムを開催するにあたり, 今日に連なるわが国の西洋医学の発展の流れの中で, 東北仙台の先人たちが果たしてきた役割を, とくに大槻玄沢と葛西森夫の二人の医師・医学者に焦点を当てて紹介する. 「1仙台藩における医学教育と大槻玄沢」1601年, 伊達政宗を藩祖として仙台藩が誕生した. 仙台藩では, 政宗以来代々の藩主に好学の気風があり, 1736年. 第5代藩主・伊達吉村は仙台に学問所(後の養賢堂)を開設した, 1760年, 養賢堂で医学教育が開始され, 1817年にはここから医学校が分離, 1822年に日本初の西洋医学講座(医学館蘭科)が開設された. オランダ流外科医を父に持つ大槻玄沢が1786年に仙台藩の藩医となる, 玄沢は, 「解体新書」の著者である杉田玄白と前野良沢に学び, 玄白に命ぜられて, 1798年に「解体新書」の改訂版である「重訂解体新書」を完成させた.
ISSN:0288-609X