日本の職業性膀胱癌の管理 (その1)
1. 緒言 日本で, 初めての職業性尿路系腫瘍の報告が記録として残されているのは, 久保田博士(1)によると1922年(大正11年)竹村博士による農業従事者に発生した1例で, ベンジジン溶液に松葉を浸している作業をしていたこと, 病名は腎臓癌とあるだけで, 病理組織所見も記載が無く, 簡単な症例報告である. したがってGrawitz腫瘍かも知れず, 腎盂尿管膀胱の移行上皮癌のことについては触れていないので診断名は不明である. 以後, 18年以上も症例報告がなかったが, 1940年(昭和15年), 西村博士らが工場労働者4例について発表し, これが近代化学工業での例と言えるかもしれない. 3年後...
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Veröffentlicht in: | 日本衛生学雑誌 2007/01/15, Vol.62(1), pp.9-17 |
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Hauptverfasser: | , |
Format: | Artikel |
Sprache: | jpn |
Schlagworte: | |
Online-Zugang: | Volltext |
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Zusammenfassung: | 1. 緒言 日本で, 初めての職業性尿路系腫瘍の報告が記録として残されているのは, 久保田博士(1)によると1922年(大正11年)竹村博士による農業従事者に発生した1例で, ベンジジン溶液に松葉を浸している作業をしていたこと, 病名は腎臓癌とあるだけで, 病理組織所見も記載が無く, 簡単な症例報告である. したがってGrawitz腫瘍かも知れず, 腎盂尿管膀胱の移行上皮癌のことについては触れていないので診断名は不明である. 以後, 18年以上も症例報告がなかったが, 1940年(昭和15年), 西村博士らが工場労働者4例について発表し, これが近代化学工業での例と言えるかもしれない. 3年後の1943年(昭和18年), 高橋博士らが発表したのはアリザニン色素を使って絵を描いていた上絵師に発生した例であった. したがって, 日中戦争, 第2次世界大戦中にこの種の医学論文はわずか6編にすぎなかった. ヨーロッパ特にドイツではDr. Rehn(1895)が最初の職業性膀胱癌の報告をして以来, 各国が症例研究をしながら原因物質の究明に努力していた. |
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ISSN: | 0021-5082 1882-6482 |
DOI: | 10.1265/jjh.62.9 |